「追いこまれつつある人」
- ストレスで気持ちが沈みがち。
- 逃げ場がなくて吐き出す方法もない。
- リフレッシュする時間もない。
というわけで今回は
「追いこまれないための対処法」についてのお話。
ゆることば_001
2009年ごろ、描いていたものがあります。
当時勤めていた職場は、経営者によるパワハラ・モラハラなどが当然のように身に降り掛かってくるところでした。
理不尽な出来事が多く、いわゆるブラックな職場だったと思います。
それでも私はわりと我慢を重ねるタイプなので、3年近く勤めていました。
その職場では、常に心を乱されていました。
経営者夫婦が「独自の理念」を強制してくることもあり、まともに相手をしていると、気持ちのほうが参ってしまうのですね。
恫喝と陰険のコンビネーション。
時代錯誤と公私混同がとにかくすごかったです。
追いこまれかけていたところで、不意にはじめたのがこの「言葉を添えたイラスト」シリーズでした。
内容としては、他愛ないものかもしれません。
しかし当時の私は『自分の思うこと』を携帯の待受にしておいて、いつでも平静を保てるようにしよう、と考えたわけです。
つまり、自分で「逃げ場」を作ったのです。
自分の気持ちを整理するために日記をつけるのがいい、ということはよくいわれると思います。
考えてみれば、それとどこか地続きのやり方だったようにも思いますね。
シリーズは全部で50ほどあります。
今回紹介したのはその1枚目。
経営者夫婦は、それぞれ自分たちの誕生日が近づくとアピールします。
留学生バイトの子たちまでもプレゼントを用意せざるを得ないような状況を作ります。
そして誕生日の当日。
業務終了後、プレゼントのお披露目会のようなものが開かれます。
全員の前でそれぞれのプレゼントを開け、品定めするようなものです。
チクリと刺すような笑えない嫌味を挟みつつ、すべての贈り物がさらしものに。
それからその場ですぐ、経営者側があらかじめ用意していた「お返し」が全員に配られます。
「ほら、これが欲しかったんでしょう。だから私のプレゼントをせっせと用意したんでしょう」という口ぶりです。
しかし、配られた「お返し」は10代のバイトの子や、20代の社員あたりが誰も喜びようがないような品物。相手のことを考えて用意したものでないことは明らかです。
それで「貰いっぱなしではなく返したからね」として、おしまいとするのです。
別の日、留学生バイトの子が誕生日です。自分からアピールなんてしません。
経営者夫婦からは「おめでとう」のひと言もない。
プレゼントも当然のように、ありません。
履歴書があるので誕生日がわからないなどということもあり得ません。
それでも、完全に知らん顔。
経営者夫婦は「運気」を異様に気にしており「誰かから物を貰ってそのままにしていると運気が下がる」と常々口にしていました。
だからといって「誕生日プレゼントのお返しをその場で済ませ、相手の誕生日には知らん顔」ということに、私は違和感を覚えました。
私は、たとえ自分がもらわなくても贈り物をすることが好きです。
「お返しがほしいから」という気持ちで贈り物をしたことなど一度もないのです。
ところが「お返しが目当てだろう」と決めつけられていて、結構なショックでしたね。
「贈り物」をそういうふうに受け取る人がいるのだ、ということを知ってショックだっただけではありません。
ほかの人に贈り物をするときにも「お返しを期待していると思われるのではないか」と、無意識に勘ぐりそうになってしまう自分に対しても、嫌な気持ちになりました。
そこで感じたことを描いたのが、今回の一枚でした。
毎日が、誰かにとっては特別な日です。そのことに間違いはないでしょう。
自分はいままで通り、どんな相手にも、同じ姿勢で贈り物をしよう。
上杉謙信が、敵対する武田信玄に塩を送って手を差し伸べたように、自分は経営者夫婦に対しても変わらず「下心のない贈り物」を続けよう、と思ったのです。
贈り物を受け取った側がどう捉えても、それは自分にはどうしようもないことだ、と割り切るための一枚となりました。
自分は自分のままでいい。
そんなあたりまえのことさえも否定されてしまうような職場だったんですね。
そして、誰も「そのままでいい」と言ってはくれないので自分で自分に書いたわけです(笑
結果:【雑記】追いこまれないための対処法【ゆるりといこう】まとめ
- 気持ちの届かない・言葉の通じない相手はいます。
- 割り切るために必要な「逃げ場」は自分で用意できることが望ましい。
- 自分でできないときはその場自体から逃げよう。
心を苦しめてまで我慢しても、きっと得るものより失うもののほうが多いです。
いつでも「その場を去る準備」だけはしておきたいものです。
それでは今回はこのへんで!
最後まで読んでくださってありがとうございます(´ω`)