「絵を仕事にしたいんだ~」
- イラストレーターに憧れている。
- 依頼を受けて絵を描くのが楽しい。
- 自分の絵が商品になることに喜びを感じる。
- 絵だけで食べていけたらいいなあ。
イラストを描いていると、考えますよね。
というわけで今回は私の経験談から、
「エンタメ企業からのスカウトの話:依頼と契約の狭間で」についてのお話。
二宮ちい
<依頼>
知人の飼っている猫の「ちいちゃん」を描きました。
A4サイズの用紙に印刷したものと、マウスパッドへグッズ加工したものを納品しました。
この絵は2015年に受けた依頼でしたが、2010年ごろ、職場で人や動物の似顔絵の依頼を受けて、ちょっとした副業めいたことをやっていました。
2010年-2011年の2年間ほどの間に、30件くらいはあったでしょうか。
積極的な営業はせず、職場内の口コミだけだったので、新規依頼の規模は小さなものでしたが、ときには職場外の方が紹介で依頼を頂くこともありましたね。
そのとき学んだのは「動物の似顔絵のほうが向いている」ということでした。
ずっと以前、友人にも「動物がいいな」と言われたことがあったのですが、身をもって知ることになったわけです。
苦手を知ることで強味を知る
生まれたばかりのお子さんやお孫さん、結婚された娘さん、楽器を弾かれる娘さんやその恩師、友人のお孫さんなど、割合的には動物と半々くらいの依頼量で人物画の依頼も受けていましたが、いくつかこなすうちに、あることに気づきました。
「面識がない人ほど、難しい」
これはもちろん、私個人の感想です。必ずしもみんながそうだというわけではありません。
なんというか、気持ちが入っていくのに時間がかかるんですね。
似ている、似ていないの判断も、なかなか客観視できずにジャッジできません。
見本となるのは1枚の写真だけ。
直接会って話したり、たとえば著名人の方のように映像で見たことがあれば、表情や仕草や顔の特徴などが「その人のイメージ」となって蓄積されているものです。
だから、ジャッジしやすい。
写真一枚では、それが難しいのです。
撮影状態も、良好なものばかりではありません。
ピンぼけや白飛びしていてシワなどがわからなかったり、一重まぶたか二重まぶたかも判別できないこともあります。
想像で人物を描くことは好きですが、似顔絵となるとそのあたりの「情報不足」を補うことに注力することが、消耗を招いていたように思います。
それでも、髪の毛はそう困らないんですよね。
生え方や、流れはこうなる、ということがある程度わかっていますし、顔とは違ってカチッと決まっているものではありません。
つまり似顔絵となった場合、私には
「人間よりも、地肌が毛に覆われた動物のほうが向いている」ということがわかりました。
繰り返しますが、あくまで私の場合は、です。
強味に的を絞る
そこで、動物に限定した依頼を受けることに変えました。
「対象を絞ると受けられる依頼が減ってしまう」と不安に思うかもしれません。
しかしどうでしょう?
自分の力のおよぶ範囲ではない条件に左右され、モチベーションやクオリティを維持できないと感じるのであれば、無理をしてまで受ける必要はないと私は考えます。
苦手なものを切り捨てるというのではありません。
自分が思うような仕事ができないことを「お任せください」と受けられますか?
もしそれを隠して依頼を受け続けていると、いずれストレスで「もうやりたくない」と感じる日が来ます。
以前の記事に書きましたが、私には『同人ゲーム制作の手伝い』によって、絵を描けなくなった時期があります。
当時のことは、こちらの記事で触れています。
「一度引き受けたことだからやり遂げなければ」という私の責任感と、依頼者の無報酬にも関わらず無遠慮、無配慮という状態が重なって、長年の協力が「拘束」となり、大きなストレスとなっていたことが、いまだからよくわかります。
スカウトされた話:絵で収入を得る
絵を仕事にする、というのは大変なことです。
趣味が仕事になれば、と考えることは誰しもあることでしょう。
しかし「本当にできるのか」と考える期間は必要だと思います。
昨年、あるエンタメ会社の代表取締役の方から、DMが届きました。
知名度のある市販のゲームや小説などといった分野で、作品のイメージイラストや、キャラクターデザインなどを手掛けており、多くのライターも契約している企業です。
そのDMには、イラストレーターとして登録・契約をしませんか、というお誘いの言葉が綴られていました。いわゆるスカウトですね。
私はpixivなどにコンスタントにイラストを投稿しており、その投稿した版権イラストのなかに、その会社が手掛けた作品があったことが、スカウトのきっかけだったようです。
私自身、ゲームも好きで、オリジナルのキャラクターや小説を書いているわけですから、願ってもない機会だと率直に感じました。
有り難いことだと快諾し、登録要項にあった作品のポートフォリオを用意し、契約へと進みながら、ふと感じたのです。
「本当にできるのか」
忘れがちなことがあります。
「似顔絵を描いて喜んでもらう」ことは、ある種一連の流れとなっていますよね。
ところがそれが仕事となれば、どれだけ納品しても「喜んでもらえる」わけではないのです。
当然ながら、ダメ出し+リテイクや、苦手なものへの取り組みなども生じます。プロフェッショナルですから、クライアントの要望に応えてこそ、成立するものだと思います。
他人に課された難題のなかで成長をしながら、それでも楽しめるのであれば、きっと続けていけるでしょう。
私の場合はまず「誰かに喜んでもらう」ということが、創作の原動力となっています。
有償でも無償でも、そのリアクションのために全力を注ぐタイプです。
なので、イラストレーターとして企業のなかで振り分けられた仕事をするスタイルは、向いていないだろうな、ということがわかります。
『同人ゲーム制作の手伝い』では、本当に苦しみました。
ひとつ終わると「じゃあこれもやってくれ」と毎回追加され、ゴールの見えないマラソンを走り続けました。
参加者のなかには、面白半分で参加して、放り投げて脱落した人もいました。
その人がやりかけた案をかたちにして、私が代役として提出したイラストを、参加を強いられたスカイプ会議で嘲笑されたりするようなことも複数重なり、生まれてはじめて「絵を描きたくない」という精神状態に陥りました。
手が切れて5年が経過していましたが、スカウトの話を受けようと準備を進めるうちに、大きなトラウマとなっていた感覚が、不意に蘇ってきたのです。
結局、その企業のスカウトは、お断りすることにしました。
「自分に裁量が与えられない場所で絵を描く」ことは、トラウマを抱える私には精神的負担が大きい、と判断したためです。
私にとっては正しい判断で、後悔はまったくしていません。
そう言い切れる理由があります。
自分の気持ちをきちんと知っておくこと
眼の前にやってきたチャンスに、人は誰しも飛びつきたくなるものだと思います。
しかし、飛びつく前に一度考えてみてください。
「本当にできるのか」
まずは自分でルーティンを決め、その通りに実行できるのか。
「締め切りを守る」というのは、プロであれば必須の条件です。
私は普段からその方法で期間を区切り、絵を仕上げるようにしているので、締め切りは守れると思います。
しかし、一度契約を交わせば、期間満了まで逃げ場はなくなります。
本当に「絵を仕事にしたい」のであれば、止める理由はありません。
しかし私のように「自分の創作や好きな版権絵を気軽に描いていたい」のであれば、考えどころです。
いざというときに、判断が鈍らないようにするためにも『自分の本心』を、普段のニュートラルな状態でよく考えてみておくことが、とても大事ですね。
それでは今回はこのへんで!
最後まで読んでくださってありがとうございます(´ω`)