2013年~2014年、私は疲弊していました。
2008年ごろから手伝いをしていたゲーム制作からいつまで経っても解放されず、休息を願い出ても電話やSkype会議などでたびたび呼び出しを受け、完全に離れられはしませんでした。
というわけで今回は
「失った意欲を救ったもの」についてのお話。
結論:過去の積み重ねが未来の自分を救う
結論:過去の積み重ねが未来の自分を救う!
私が救われたのは、こういうことでした。
以下に経緯をまとめます。
経緯:過ちは引き際を見誤ったこと
イラストが数点。それがはじまりでした。
それをこなすと、追加で数点。
当然「作品の役に立ちたい」という気持ちもあったと思います。
そこまでならよかったのかもしれません。
仕事も忙しくなり、ときどき滞りながらも地道にこなしていきました。
「手伝いを快諾したのは自分」という責任感もあって、私には途中で放り出すという選択肢はなく、地道に進める以外にはなかったわけです。
それをどうにか終えると、再び追加の注文が来ました。
追加のイラストに留まらず、移動マップに使用する地図のデザインや、街やダンジョンのデザイン、修正、効果音、作詞、歌唱など、以降は、5~6年にわたり、同じことの繰り返しでした。
終わったと思ったら、間もなく「ついでにこれもお願いできますか」という具合。
気づけば、ゴールの見えないマラソンを走り続けていました。
やっとの思いでゴールテープを切った、と思ったら
「なにやってんだ、まだ走るんだよ!」
と言われる状態です。何度も何度も。キツいですね。
もともと自分のことより、人のためにすることを優先しがちだった私にとって「優先して進めなければならない頼まれごとが"常に"ある」というのは、性格的に結構な負担だったようで、長年の蓄積によって、じわじわと自覚のないまま疲弊していったようです。
それほど長期化するとも予想せず、気軽に手伝いを引き受けてしまったがゆえの
自業自得だと思っています。本当に浅はかでした。
当時のことは、あまり細かく思い出したくはありません。
結局のところ、言葉巧みに踊らされた自分が愚かだったとしか言いようがないのですが、提出したものを嘲笑われたり、ラフを悪意あるものだと曲解されたり、さまざまなことが重なって、ついに絵が描けなくなってしまいました。
忙しくて絵が描けない、という時期はありましたが「絵を描きたくない」と感じたことは生まれてはじめてで、私自身、ひどく戸惑ったことをよく覚えています。
それでもやはり「一度引き受けたことは放り出さない」という気持ちは変わらず、最後に残っていた主題歌まで、熱意を失わずやり遂げることができました。
それは作曲を担当してくださった方の愛情と、素晴らしい楽曲があったからこそだと思っています。本当に感謝してもしきれません。
それからしばらく、眠れない時期を過ごしました。
自分の小説の登場人物など、前々から下描きを用意していたものは仕上げられましたが、白紙に向かっても絵が描けない。
そのこと自体がストレスになっていたようにも思います。
救済:過去の積み重ねに救われる
そんなとき、救ってくれたものがありました。
過去に、自分が描いてきた絵です。
なに気なく昔のファイルを開いたとき、その絵を描いた当時のことを思い出しました。
時系列で、このときは本当はもっとこういうのを想定していただとか、これを描いて贈った相手はすごく喜んでくれただとか、ページをめくるたび、絵に描かれていないことまで鮮明に思い出すことができました。
過去から現在まで振り返り、気づくと、また絵が描けるようになっていました。
どんなふうに絵を描いていたか、どんな気持ちで描いていたのか、自分の絵を見て思い出したということなのかもしれません。
確かなことはわかりませんが、ファイルを閉じたとき「また描きたい」と少しだけ思えるようになっていたのです。
そして2015年へ。
水を得た魚が泳いだのはどんな海だったのか。
それはまた、次の機会にでも書きたいと思います。
結果:【創作】失った意欲を救ったもの【過去の積み重ね】まとめ
このとき私が救われたのは、長年「ファイリング」していたからでした。
作品は印刷し、下描きと合わせてクリアファイルにまとめています。
オススメは大容量の100ポケット。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
出産して腰を痛めた姉は、思うように動けない期間があったのですが、10年分くらいのファイルを貸していたところ「眺めていると気分転換になって助かった」とお礼を言われました。
案外、私以外にも効果があるファイルなのかもしれません(笑
継続が成果につながることについての記事はコチラから!
それでは今回はこのへんで!
最後まで読んでくださってありがとうございます(´ω`)