「創作」の視点で人物を洞察するシリーズ。
1983年1月19日は、宇多田ヒカルさんの誕生日。
シンガーソングライターとして、若いころから活躍されてきた方です。
というわけで今回は
「個と個を繋ぐ音楽を届ける職人:宇多田ヒカル」についてのお話。
宇多田ヒカル
父は音楽プロデューサー。母は歌手の藤圭子さん。
アメリカ合衆国ニューヨークで生まれ。ロンドン在住。
1998年に15歳でCDデビュー。
デビューシングル『Automatic/time will tell』はダブルミリオンを記録。
1stアルバム『First Love』は累計売上枚数765万枚超え。国内歴代アルバムセールス1位。
2ndアルバム『Distance』は初週売上枚数が歴代1位となる300万枚を記録。
2007年発表の『Flavor Of Life』は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録。
2010年に「人間活動」として翌年以降の音楽活動休止を発表。結婚・出産。
2016年に活動を再開。(基本情報はWikipediaより抜粋)
名前の由来
宇多田ヒカルさんの本名は漢字表記で「光」。
母の藤圭子さんが「網膜色素変性症」で、徐々に視力を失っていたころに授かった子、とのこと。
「我が子から光が失われないように」という願いをこめて「光」と命名されたのだそうです。
自分の名前の由来を、知っていますか?
小学生の宿題などでは「自分の名前の由来を親に訊いてくる」といったものがあるようですね。
それぞれの名前には由来があったり、漢字の意味なども考慮されていたり、さまざまです。
創作の楽しみのひとつに「名前をつける」作業があります。
名を与えるという行為は創造者の特権ともいえます。
名は体を表すなどともいいますから、ぴったりな名前をつけたいものです。
思いつきでつけてばかりいると、語感が似通って紛らわしい人物が複数生まれたりもしますから、その由来などにはしっかりとこだわっていきたいところです。
ひとつひとつは時間がかかっても、はじめからきちんと管理しておくことをオススメします。
読書家
読書家としても知られる宇多田さん。
幼いころから日本と海外を行ったり来たりする環境で育った宇多田さんは、どこにいても気分的に「外国人」という状態だったそうです。
故郷はどこなのか、自分は日本人なのか外国人なのか、といったアイデンティティの揺らぎによる葛藤は、宇多田さんのような環境に身を置いていると抱きやすいのかもしれません。特に幼少期からとなると、その影響は小さくないことが想像できます。
友人と仲良く過ごしても、どこかで馴染めず「孤独感」とともにあったであろう宇多田さんを救ったのが「読書」なのではないかと思います。
ご自身でも、このように語っています。
「とにかく文学は永遠に私の情熱であるでしょう!
本は財産です。読んだ本は全部とっておく。
服より本の占めるスペースが多い」
物心がついたころから「他者と、世界と繋がるための方法、手段」として読書をしていたのだそうです。
小説だけでなく、子供向けの絵本や、詩集などにも触れていたとのこと。
「現実で自由にならないこと、耐えられないことから、いつでも逃げられる場所」が「本の世界」だったとも語っています。
宇多田さんの楽曲に添えられた私小説的な歌詞は、こうした「文学を通じて救われた心」を源流としているのかもしれませんね。
大切なはずの趣味の時間を「無駄」と切り捨ててしまってはいませんか?
無駄のまったくない人生を、果たして豊かだといえるでしょうか。
読書に限らず「時間を忘れて過ごせるもの」が人生にひとつあれば、それが心の豊かさを生み、大きな救いにさえなるものだと思います。
そしてその心の動きが次の表現を生み、また別の誰かの心を救うはずです。
創作活動は大半が孤独な作業ですが、それが誰かの手に届いたときに、個と個が繋がります。
小説でいえば、作家の孤独と、読者の孤独が「作品」を通じて「繋がる」わけです。
私は、それが創作の本質だと思っています。
いつの時代も、人の世に芸術や表現の場があったのは、そういった理由があるのかもしれない、と感じます。
人間活動
現在は音楽活動を再開されていますが、2010年には活動休止が発表されました。
『人間活動』という表現について宇多田さんは
- 思っていることを長く書こうとしても伝わらないことが多くて、短い言葉を使おうと思った。
- 色々と知らないことがあるまま生活しているので、1人でも生きられるようになりたい。
- 得意なことばっかりやっても成長がないと思って。
- もし私と同じく、自分の中の苦手なこと、避けようとしている部分に向き合っていきたいと考えている人がいるなら、一緒に頑張りましょう。
- 有名人(見られる側)になってからの十数年、どんどん自分が見えなくなっていってた。
- 全然自分のこと理解できてなかったし周りの人たちのことも「知ろう」としてなかった。
- 苦しい、さびしい生き方をしてました。
- まだ若いうちに気付けてよかったです。みんなに感謝。
といった言葉で綴っています。
一般以外に同業者のファンも多く、努力も怠らないため、仕事は順調だったと思います。
それでも若くして業界に入り、日常的なことが自分一人でできないことについて「できるようになりたい」と考え、行動に移せるのは素敵なことだと思います。
「得意なことばかりやっても成長がない」というのは、刺さる言葉です。
ひとつのことで成功しても、そこに固執せず、可能性を探る。
勇気や決断力と呼ばれるものが必要となることですが、そこで踏み出せる宇多田さんだからこそ、多くのファンがついているのかもしれません。
「自分にはこれしかない」と突っ走ることも大切ですが「それ以外の可能性」に眼を向けることも、忘れずにいたいですね。
仕事に対する姿勢
日頃のフランクな印象を受ける喋りとは違い、その仕事は職人的で、かなりストイックなようです。
アルバム『Fantome』『初恋』のレコーディング、ミックスを担当したスティーブ・フィッツモーリスさんが、ほかのアーティストと違う点として挙げているのは「宇多田さんのいないところでレコーディングが行われることはなかった」ということ。
大勢のアーティストの作品を手掛けてきたスティーブさんですが、宇多田さんについて「彼女はもっとも断固とした態度の持ち主の一人」とも語っています。
その厳しさは「自分の作品に、知らない部分があってはいけない」という考えがあるからなのだと思います。
そこだけを切り取って聞くと「それって普通のことじゃないの?」とも感じますが、ほかの人と違う点としてわざわざ挙げるということは、アイデアや指示だけ出して、その場を離れるアーティストが少なくない、ということなのでしょう。
創作では、誰かと協力して、あるいは制作サークルなどに加わって、複数人でひとつの作品を作るという選択肢もあります。
各自が得意分野を担当し、分業化することで効率化を図るわけですね。
作品の質をあげよう、一人ではできない作品を作ろう、という明確な目的があればいいのですが、そこに「甘え」が生じると厄介な問題を招くこともあります。
リーダーが「自分の作りたいものを人に作らせたい」と考えていると、ほとんどの作業が人任せになり、作品に対する責任の所在が曖昧になってしまうこともあります。
もし、自分一人ではなく誰かと「共同制作」をしたい、と考える場合は、慎重に計画を立てるべきだと肝に銘じておきましょう。
それぞれが、貴重な時間を割いて作業をします。そこに「甘え」を持ちこみ、問題がこじれて制作中止になったりすると、参加者全員に迷惑がかかるのです。
リーダーとして制作指揮をとるのなら、まずは自分一人でひと通りの作業をやってみるべきだと思います。分業化するにしても、作業内容をまるで知らないのと、少しでもやったことがあるのとでは、理解力がまったく違ってくるものです。理解していれば、その指示の出し方も変わってくるはずなのです。
「できない」のか「やらない」のか?
ちょっと長くなりましたが、最後に前述のスティーブさんによる、宇多田さんの印象的なエピソードを紹介したいと思います。
レコーディングにて、宇多田さんの要望に対し参加ミュージシャンたちがこう言ったそうです。
「ちょっとこれできない、難しい」
すると宇多田さんは、こう訊き返したそうです。
「Is it impossible? Or is it difficult?」
"それは「不可能」なの?「難しい」の?"
非常に鋭い指摘です。
物理的な問題などによって実現が不可能なことなのか。
それとも「難しくて自分にはできない」というただの弱音なのか。
宇多田さんが鋭く指摘したのは、相手が「プロとして仕事をする」ミュージシャンだったからだと思います。
プロフェッショナルとは、こういうことなのでしょうね。
「難しいから」という理由で「できない」と投げ出していては、到底よい作品は生み出せません。
モノづくりをするのなら、見習わなくてはならない姿勢だと思います。
それでは今回はこのへんで!
最後まで読んでくださってありがとうございます(´ω`)