創作中の物語『夜明けの続唱歌』より。
引き続き2013年の絵になります。
人物の「心の動き」を「行動」で表現する理由、についてのお話。
(2013,05,10)アイコ・ゴート
木樵の娘。
実家を離れ、開放的な旅宿を手広く経営する。
基本的には真面目だが、それが裏目に出て余計に苦労することが多いと自覚しているので、ときどき手を抜きながらやり過ごすようにしている。
登場人物の「心の動き」を、行動で表せていますか?
誰しも、無意識にとる行動というものはあると思います。
よい癖もよくない癖も、根をたどってみると、些細な心の動きによるものだったりするわけです。
- 腕を組むのは、守りに入っている姿勢。
- 口もとに手をやるのは、焦っている傾向。
- 身体の横揺れは、動揺の表れ。
などともいわれることがあります。
作品内で、いまその人物が「どんな気持ちか」を仕草で表現するわけですね。
たとえば、ひと昔前のゲームは、表情の描写などが難しく、ある程度セリフで説明する必要がありました。
「おい、怪我のほうは大丈夫か?」「ああ、なんとかな」といった具合です。
それがいまでは、険しい表情で「おい」とだけ呼びかけ、それに対し、少し表情を動かしてうなずく、という表現が可能になったわけです。
想像の余地を残すことで、より深みのあるシーンとなりますよね。
映画や小説、漫画などの分野では、もともとそういった視聴者、読者に「余地」を残しておくという表現が可能でした。そこにゲームも加わったのですから、それはつまり、いまやさまざまなエンタメの媒体で、表現できることが深まっている、と考えることができます。視聴者、読者の眼は肥えているはずですね。
そんななかで、前者のような「説明セリフ」を多用していると、どうでしょうか。
作品に触れる人が「心の動き」を想像する余地がないばかりか、書き手も「仕草や行動で表現すること」をおろそかにしてしまうように思います。
すべてを言葉で説明することで、わかりやすくはなるかもしれません。
しかし私は「余地」は作品の「振り幅」だと思うのです。
「振り幅」があれば、登場人物の行動の理由などを、さまざまに解釈できる。
ときには作品のファン同士で議論ができる。
「わかりやすさを求めた作品」が悪いわけではありません。
ただ、そのわかりやすさの裏にある「登場人物の心の動き」がきちんと想定されたうえで描かれていてほしい、と思います。
感想を聞いてみて「そんなふうに受け取ったのか」というような、想定外の反応が得られるのも、楽しいものです。
「心の動き」を「仕草や行動」で表現してみましょう。
私自身も、作品を書き進めるうえで、忘れたくないことのひとつです。
『夜明けの続唱歌』関連の前回の記事はこちらからどうぞ!
『夜明けの続唱歌』については、こちらの記事も合わせてどうぞ!
それでは今回はこのへんで!
最後まで読んでくださってありがとうございます(´ω`)