創作中の物語『夜明けの続唱歌』より。
引き続き2013年の絵になります。
迷子・孤児など子供キャラを孤立させがちな理由、についてのお話。
(2013,12,12)エルベシア・フリクシオーネ
岸壁の村落、岱村(タイヴァスタ)出身。
気が強い反面、極端な怖がり。
独特な魔術を使う才能をもつ。
同じ村のアルセのことが気になっている。
これまで、このくらいの年齢層の子供を描く機会はそれほど多くはありませんでした。
ファンタジーとはいえ、物語が大人社会のものであればあるほど、子供の登場頻度はやはり低くなってしまいますね。メインで登場するとしても10代後半。
脇役としてまったく出ない、というわけではありませんが、今回のキャラクターのように小学生くらいの子供となると、いまのところメインとなるような登場はしていません。
「子供たちばかりが活躍する冒険もの」というテーマであればまた違ったアプローチになるとは思います。
しかし大人中心で進む物語の場合、どうしても脇役になりがちな子供キャラクターは、その内面の描写よりも「物語の引きまわし役」が適している、というのがひとつの理由として挙げられるかもしれません。
理屈抜きで突っ走って、トラブルを呼びこんだり、逆に思わぬことで事件を解決に導いたり。
そういった、子供ならではの印象に残る役まわり、というかたちがやはり登場させやすいのかもしれませんね。
そうではない登場の仕方も、きちんと考えていきたいと思います。
それはさておき、子供を物語に登場させるときに、ついやってしまいがちなことって、なにか思い浮かびますか?
それはズバリ「迷子」や「孤児」です。
周囲に大人の姿がない。保護者・血縁者が不在。という子供キャラクター。
それが物語に必要な設定であるならば問題はないのですが、安易にそう宿命づけた場合、必ずしも必然とはいえない、ということがあります。
それは
- 「孤立していれば家族を描く必要がなくて楽」
- 「無条件に、主人公などが守る必要があるから目的を与えやすい」
などと考えて、安易に、あるいはほとんど無意識に選択する場合です。
繰り返しますが、その子供にそういう設定が必要であればいいのです。
ここで問うのは「実は安易に、楽なほうを選んでませんか?」ということです。
確かに、子供が主役となるような冒険物語で、親や大人の存在は邪魔になるものです。
保護者がいないから、事件となって物語が動き出す、というお話はたくさんあると思います。
『ドラえもん』の映画でも、だいたい物語冒頭で親は登場しますが、そこからのび太たちは道具を使って、別の世界へ旅立ちます。
そこには、はじめからのび太たちを守ってくれる大人は、大抵いません。
徐々に打ち解けて協力してくれる大人が登場するまでは、子供だけで問題を解決していくことになります。
しかし、そんなのび太にも、事件が解決して家に帰れば、両親がいます。
旅の仲間であるいつものメンツにも、それぞれ特徴のある「この親あっての、この子供だな」と思わせる両親がいます。
子供が主役となる物語であっても「大人の力を借りることができない状況」は、工夫次第で用意することができる、ということがわかります。
もう一度考えてみましょう。
単に「親を登場させると描くのが面倒だから」と思って、孤立した子供を登場させていませんか?
毎回、それをほとんど無意識に選んでしまっていては、きちんと世界を切り取って物語を描くことはできない、と思います。
私も、気をつけておきたいことのひとつです。
『キャラクターの作り方』については、こちらの記事も合わせてどうぞ!
『キャラクターの特徴づけ』については、こちらの記事も参考にしてみてください!
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それでは今回はこのへんで!
最後まで読んでくださってありがとうございます(´ω`)