2000年11月4日は、同級生"CW"の命日。
もうあれから20年以上経つとは……。
同級生との別れ
あれはまだ学生だったころ。
冷たい風の吹く11月。抜けるような空は、滅入るほどの鮮やかな青でした。
青天の霹靂とはまさにこのことで、CWの訃報は衝撃とともに駆け抜けました。
記憶は鮮明ですが、言葉にして語れることは多くありません。
死因はバイクの事故。
並走していた自動車の不注意による接触事故でした。
報せを受けて学校に集まったときの、あの頭の芯が痺れたような感覚、重苦しくも現実逃避を求めるかのように、ボソボソと低く語り合うクラスメイトたちの声。鼻の奥までひやりとさせる乾いた空気。
そしてあの日の青空は、20年経っても覚えています。
CWはいつも笑顔で元気。快活で陰口ひとつ漏らしません。
それは決して、よい印象だけが残っているわけではありません。
本当に別け隔てなく、教室の隅でぽつりとたたずむ一人にも、声をかけて明るく話すような、ムードメイカーでした。
私は当時、よく机にイラストを落書きしていたので、それを見に来ては、いろいろと感想を言ってくれていました。
下校中、遠く離れた後方から、よく大声で名を呼ばれたことも覚えています。
当時リリースされたばかりだった、GACKTさんの『Vanilla』がお気に入りでしたね。
CDを貸してほしいと頼まれて、貸していました。
ほかにも、プレイステーションのゲームでオススメのものを貸してほしいと頼まれ『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』を貸していました。
通夜の翌日、火葬場へ向かう前に教室に集まり、委員長Hが「手紙を書いて、棺に入れよう」と提案しました。
発案は親族の方なのか、担任なのか、委員長なのかはわかりませんでしたが、やりきれない気持ちに、どうにかけじめをつける切っ掛けを求めたのかもしれません。
委員長Hもいつも闊達なのですが、このときばかりはクラスに手紙の件を伝えながら、泣いていましたね。
その手紙に私は
「貸したままになったものは、思い出に持って行ってくれ」と書きました。
火葬場に着きバスから降りると、入口にCWの名が書かれた看板が。
それを見るやいなや、クラスメイトのKさんがパニック状態になり、気を失います。
特に感受性が豊かな子だったので、現実を受け止められずに過呼吸かなにかになったようでした。ほかの女子に支えられて列をはずれていきました。
その様子を見て、剣道部の一人が苦々しく言葉を吐きます。
とにかく、細かなところまで覚えていますね。
しかし当時、私の心はどこか凍りついていました。
思春期にありがちな「ひどく擦れた心」を抱えて、沈みがちな日々を送っていたことを覚えています。
どこか投げやりで、無気力な毎日。
葬儀の終わり、棺に寝かされたCWに別れを告げます。
それぞれが手紙を入れ、眼の前の「死」と向き合いました。
外へ出て、前庭で待機となりました。
秋から冬にかけて冷えこむ夜の暗がりに、すすり泣きが広がっています。
夜闇に包まれた花壇の近くで、嗚咽を漏らす姿がありました。
CWと、クラスで一番仲のよかったT。
彼も、いつも軽妙なキャラクターの明るいやつでしたね。
委員長Hが心配して声をかけると、Tの嗚咽が号泣へと変わりました。
私も泣いていましたが、その様子を見てなおさら涙が止まらなくなりました。
ひとしきり、その場にいた全員が泣いていたと思います。
全員が別れを告げ、出発となっても、しばらく動けない人もいました。
そして葬儀場からの帰りのバスのなかで、私はあることに気づきました。
大きなショックを受けたことで、私のなかで確かになにかが変わっていました。
立ち直ったというのではありません。それほど私は強くはありませんしね。
それは「凍りついた心」が溶けていく感覚でした。
正確に表現する言葉が見あたりませんが、悲しさと悔しさとが入り混じり
「きちんと生きなければ」という思いが生まれていたと思います。
彼の分まで、というような月並みな表現では足りず、もっと熱量のあるものでした。
それからしばらくして、ふと思ったことがあります。
仮にあのとき死んだのが私だったとして、一体何人のクラスメイトが、あれほどの涙を流して送ってくれただろうか、ということ。
CWは無気力な私に、あるいはほかのクラスメイトたちに対しても同様に「生きる」ということのヒントを、与えてくれたのかもしれません。
それはCWからの「贈りもの」だったのだと思います。
私が「無為に過ごす日々」を変えることができたのは、紛れもなくあの日があったからです。
意欲的に創作を続けていられるその火種も、あの日にあるのだと思っています。
委員長Hも「事故をなくしたい」という強い思いを「白バイ隊員」となることで示しました。
いま私は、あの日の手紙に書き加えます。
「永遠に貸したままになった音楽やゲーム以上に、多くのものを貰った」
「生きる力」
これ以上の贈りものは、ないのかもしれません。
そしてきっと私は、おもに創作を通じてこの火種を伝えるために、生きています。
20年前のキミへ。
たとえどんなに暗い世のなかであっても、
みずから光ろうと努力すれば、未来もそんなに悪くないヨ。